さみしがりや

2002年11月17日
友達がさみしがりやになっちゃって、それがあまりにかわいそうで、
ずっときゃっきゃ楽しいことをしようとしてた。
傷つくくらいなら関わらなきゃいいのにって思うし、
実際に私は今までそうやっていろんな事をやり過ごしてきた。
けれど彼女は本当に懐っこい子だから、にこにこ近付いていって、
案の定つれない態度をとられて、それでへこんでゆくんだ。
ばかだなぁって思う反面、うらやましいなぁって感じる自分がいる。
なんでそんなに単純に人を好きでいられるんだろう。
なんでそんなにすぐ人に自分の手の内を見せられるんだろう。

私が彼女をなぐさめると言っても、たいした事をするわけじゃない。
身体を寄せ合ったり、おぶさったり、においをかぎあったり、
2人にしかわからない合言葉をささやきあったり、
他愛のない小さな子供のようにじゃれつくだけなのだ。
私達は、それがハイティーンである自分に見合った遊びではないと
理解しつつ、それを行う。楽しいような、泣き出したいような、
馬鹿げてるけど幸福な笑顔がそこにある。
無邪気に笑っていたいと願う。

まるである日の辻加護のような空気。

私の中で、冬に起きた出来事は、優しく白くぼやけて記憶されている。
何年前の冬の季節の思い出も、輪郭が背景に甘くとけあってしまって
決して鮮明な映像では思い出せないのだ。それに関係するのか、
冬に覚えた歌を口ずさむ時は、いつものどの辺りがこそばゆい。
冬の記憶は美しく、優しく、胸に響く。
今さみしい思いをしてる愛すべき友人との友情も、
時が経てばまたきれいな思い出になるんだろう。

はやくそうなってほしい気もする。なにかもったいない気もする。
この胸をゆっくり押し潰されているような感覚はどうだろう。
センチメンタル。感傷的。あぁ、私までさみしがりやになっている。

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