おばあちゃん

2002年10月30日
私は両親と父方の祖父母、5人と犬2匹という家庭で育った。
親が共働きだったので、幼少期はもっぱら祖母の側にいた。
足を傷めるまでは、活発で気の強い(そして口の悪い)人だった。
しかし最近は四六時中床に伏せって、
毎日身体のどこが痛いのかを訴えるようになった。
両親は以前と同じように勤め、祖父も清掃員のパートをしている。
もちろん私は学校に通っているので、平日の昼間、
祖母は一人きりで留守番をしている事になる。
(犬はよく吠えるが小型なので、番犬としてはどうだろう)

一人でいる時間、祖母は何を考えているんだろうか。
テレビから流れる映像を見て、流して、それ以上何をするのだろう。
きっと祖母は、考えることを放棄してしまっている。
しんと静まった畳の部屋で、生きているのか死んでいるのかさえ
祖母にはどうでもいいことなのじゃないだろうか。

この頃の祖母は、すっかり小さくなってしまった。
身体も態度も、老人らしく縮んでいってしまった。
祖母の顔が徐々に表情をなくしていく事に、両親は気付いていない。
祖母が枯れていくのを見るのは辛すぎる。
私だけがそう遠くない未来に怯えている。

私はまだ、身内の死というものを体験した事がない。
それがどれほどの悲しみをもたらすのかもわからない。
私は泣くだろうか。それは自分のために?死者のために?
わからない。もう、わかりたくもない。
まだおきてもいない事に「もう」をつけるのはおかしい気がする。
しかし想像するだけで、いや、過程に遭遇しただけで、
こんなにも胸が苦しいのだ。咽がひりひりするのだ。

私は決して孝行な孫じゃなかった。
愛情もそう深くなかったかもしれない。
でもここまで育ててくれた恩は、確かに感じている。根付いている。
祖母も人格者のような人じゃない。
わがままで、自分勝手で、人の悪口を言って困らせて、
でもそういう事があっても許してしまえる女性なのだ。

あたしの可愛いおばあちゃん、お願い元気でいて。
私がお嫁にいくまで一緒に暮らそうよ。
器量がよくないからなかなか結婚出来ないかもしれないけど、
そしたらもうずっとずっと一緒に暮らしてしまおうよ。
おばあちゃん、大好きだよう。

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